
串本町・樫野埼に残る、海を越えた友情の物語
橋杭岩や潮岬で知られる串本町には、観光の合間に立ち寄りたい、もうひとつの顔があります。本州最南端エリアの東に浮かぶ紀伊大島の東端、樫野埼(かしのさき)です。ここには樫野埼灯台と、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の遭難を伝えるトルコ記念館があり、日本とトルコの国際交流の原点に触れられます。
風景を眺めるだけでなく、歴史を知ってから歩くと、同じ海がまったく違って見えてきます。
エルトゥールル号とは?
1890年(明治23年)、親善使節として来日したオスマン帝国の軍艦エルトゥールル号は、帰路の途中、串本沖の海で嵐に遭い、岩礁に乗り上げて沈没しました。多くの乗組員が命を落とすなか、岸にたどり着いた人々を助けたのが、大島の住民たちです。
限られた物資のなかで、衣類や食べ物を分け、懸命に手当てをしたと伝えられています。生存者は約70人にのぼり、のちに日本の軍艦でトルコへ送り届けられました。この出来事が、両国の長い友好の出発点になりました。
樫野埼灯台を歩く
日本の洋式灯台の歴史を感じる
樫野埼灯台は明治初期に建てられた、日本でも古い部類に入る石造りの洋式灯台です。白い塔が青い海と空に映え、写真を撮る人も多いスポットです。熊野灘と太平洋が広がる景色は、岬ならではのスケール感があります。
海を見て、遭難の海域に思いをはせる
灯台の周辺から海を見渡すと、この海が昔から航海の難所だったことが実感できます。強い風が吹く日は、岬の厳しさも身近に感じられるはずです。足元は風が強く冷えることもあるので、羽織りものがあると安心です。
トルコ記念館で国際交流の今を知る
灯台のすぐ近くにあるトルコ記念館では、遭難事故の経緯や、救助にあたった人々の物語、トルコとの交流の歴史が紹介されています。敷地には慰霊碑もあり、静かに手を合わせる人の姿が見られます。
さらに印象的なのが、その後の話です。1985年のイラン・イラクの緊張が高まった時期、現地に取り残された日本人をトルコの航空機が救出したことは、「あの時の恩返し」として語られることがあります。百年近い時を経て受け継がれた、人と人との思いやりの物語です。
訪れる前のワンポイント
- [アクセス](/articles/kumano-kodo-access-osaka-one-way-loop):串本駅から紀伊大島へは串本大橋で渡れます。車なら移動がスムーズです。公共交通の場合は、事前に最新の運行情報を確認してください。
- 組み合わせ:橋杭岩や潮岬と合わせれば、串本らしい海景色を満喫できる一日になります。
- 心構え:慰霊の場でもあるため、静かな気持ちで見学したいところです。
- 開館日や料金:変更されることがあるため、お出かけ前に公式情報をご確認ください。
まとめ
串本町の樫野埼灯台とトルコ記念館は、美しい景色と、エルトゥールル号をめぐる国際交流の物語を同時に味わえる場所です。熊野古道や温泉の旅の途中、ほんの少し足をのばして、海辺の岬で歴史に耳をすませてみてはいかがでしょうか。
画像: 和歌山フォトライブラリー(和歌山フォトライブラリー より引用)
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